社会の気風

 ゆえに社会の気風は家人を教え朋友を教え、また学校を教うるものにして、この点より見れば天下は一場の大学校にして、諸学校の学校というも可なり。この大学校中に生々する人の心の変化進歩するの様を見るに、決して急劇なるものに非ず。たとえば我が日本にて古来、足利の末葉、戦国の世にいたるまで、文字の教育はまったく仏者の司どるところなりしが、徳川政府の初にあたりて主として林道春《はやしどうしゅん》を採用して始めて儒を重んずるの例を示し、これより儒者の道も次第に盛にして、碩学大儒続々輩出したりといえども、全国の士人がまったく仏臭を脱して儒教の独立を得るまでは、およそ百年を費し、元禄のころより享保以下にいたりて、はじめて世相を変じたるものの如し。(徳川をはじめとして諸藩にても新に寺院を開基し、または寺僧を聘《へい》して政事の顧問に用うるが如き習慣は、儒教のようやく盛なるとともに廃止して享保以下にこれを見ること少なし。) また近時の日本にて、開国以来大に教育の風を改めて人心の変化したるは外国交際の刺衝《ししょう》に原因して、その迅速なること古今世界に無比と称するものなれども、なおかつ三十の星霜を費し、然《し》かも識者の眼には今日の有様をもって変化の十分なるものとせず。如何となれば世間往々旧時の教育法に恋々する者あるをもって、新教育の未だ洽《あま》ねからざるを知るべければなり。教育の効の緩慢にして、ひとたびこれに浸潤するときは、その効力の久しきに持続すること明に見るべし。

 政事の性質は活溌にして教育の性質は緩慢なりとの事実は、前論をもってすでに分明ならん。然らばすなわち、この活溌なるものと緩慢なるものと相混一せんとするときは、おのずからその弊害を見るべきもまた、まぬかるべからざるの数なり。たとえば薬品にて「モルヒネ」は劇剤にして、肝油・鉄剤は尋常の強壮滋潤薬なり。劇痛の患者を救わんとするには「モルヒネ」の皮下注射方もっとも適当にして、医師も常にこの方に依頼して一時の急に応ずといえども、その劇痛のよって来る所の原因を求めたらば、あるいは全身の貧血、神経の過敏をいたし、時候寒暑等の近因に誘われて、とみに神経痛を発したるものもあらん。全身の貧血虚脱とあれば、肝油・鉄剤の類これに適当すべきなれども、目下まさに劇痛を発したる場合にのぞみてはその遠因を求めてこれを問うにいとまあらず、すなわち「モルヒネ」の要用なるゆえんなり。 然るにその医師が劇痛に投ずるに「モルヒネ」をもってするのみならず、患者の平生に持張して徐々に用うべき肝油・鉄剤をも、その処方を改めて鎮痛即効の物にかえんとするときは、強壮滋潤の目的を達すること能わずして、かえって鎮痛療法の過激なるに失し、全体の生力を損ずることあるべし。

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