直訴

これが為めに、判事、検事、鑑定人、弁護士、新聞記者等五十余人の一行は、十月六日鉱毒地出張、十三日帰京した。田中正造はこの時まで尚ほ代議士の名義を保存して、この一行を案内したが、臨検の事が終るや、直に衆議院議員の辞表を提出して、一個の野人田中正造に返つた。

   直訴

明治三十四年十二月十日、第十六議会の開院式。日比谷大路の拝観者の群中に混じて、時間の到来を待つて居た田中正造は、手に一通の奏状を捧げ、『御願が御座ります――』と、高く呼びつゝ、還幸の御馬車目がけて飛び出した。騎兵が一人、槍を取り直して突き出した。脚の弱つて居た田中は、躓《つまづ》いて前へ倒れた。余り急に、姿勢を転じたので、騎兵は馬もろ共横に倒れた。還幸の行列は桜田門を指して粛々と進んだ。翁が直訴の真意は、同じ十八日、郷里の妻勝子への手紙に明白だ。その中にかう書いてある。[#ここから1字下げ]「――又正造は、今より後は此世にあるわけの人にあらず、去十日に死すべき筈のものに候。今日生あるは間違に候。誠に余儀なき次第に候。当日は騎兵の中一人、馬より落ちたるもの無ければ、此間違もなくして、上下の御為此上なき事に至るべきに、不幸にして足弱きために、今日まで無事に罷在《まかりあり》候。此間違は全く落馬せしものありての事ならんと被考《かんがへられ》候。村々の者呉々も善道に心を持ちて、心のあらん限り誠実に互に世話致し可申やうに、話するの要あり。東京御婦人の慈善心の厚き誠に誠に天の父天の母の如くにて候。呉々もありがたく奉存候」[#ここで字下げ終わり]

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