動物の家庭生活

 しかしさうはいうものゝ動物の家庭生活には、存外に人間と似通うた部分が多く、時々は現在我々の歩む道の来し方が、無限に遠いものであることを感ぜしめる。虎や狼の妻問ひは垣間見る折も稀である。犬猫牛馬の輩はあまりにも放縦であるやうに見えるが、是などはもう変化して居るのである。静かに林間の自然の生活を続けて居る者に在つては、まださう慌たゞしく前々の風習を振棄てゝはしまはない。さうして恋愛期には幾分か放心に、人に見られて居ることを意としないやうになつて居る。私は曾て九州南端の長崎の鼻といふあたりで、初夏の霧雨の中にイソヒヨドリの雌雄が、楽しい家庭計画をして居るのを見たことがある。此鳥は婚期に入ると、目立つて肌の色が紅になるやうに、私は観測して居るのだが、果してどうであらうか。ちやうど引汐の小さな岩の頂きに、一羽が両翼を弛めて上を見て啼いて居る。始めは雛鳥が餌を求める姿かと思つたが、相手の一羽の飛びまはる挙動を見て、それが母鳥では無く妻問ひであることを知つたのである。捜したら巣なども其近くに在るのではないかと思はれた。前に談雀といふ一文の中にも書いて見たことがあるが、是とやゝ似た経験を、私はこの郊外の小さな家の庭でもして居る。鳥が一生の特に切実な問題を決するのに、夜の引明けの天地の最も静寂な時刻を選ぶのは、まことに自然なる習はしと言つてよからう。或時偶然にさういふ刻限に目が覚めて、宵からあけ放してあつた窓の外の梢に、うすうすと曙色の催すのを見て居ると、つい鼻先の枝の片端に、二つの鳥が来てとまつて居た。姿はまさしく普通の百舌なのだが、鳴声も動作も共にいつもの様でなかつた。一羽は同じ枝にたゞじつとして居るに対して、一方は何度でも下に飛びおり、灌木の中をくゞり、又は地面の上にまで降り立つて、やがて飛び戻つて来てはもとの枝に、近々と寄り添うては鳴くのである。其声は至つて低く、又聴き取れる筈も無いのだが、前後の様子と、くり返すしぐさとに由つて、たとへば外国人の物言ひも同じやうに、心持だけは自然に解つて来る気がした。こゝにおまへと二人で巣を作らう、食ひ物はたしかに有ると、言つて居るものとしか考へられなかつた。さうしてその一方の鳥が羽をゆさぶる形は、やはり薩摩の海辺で見た磯鵯の挙動と、非常によく似て居たのである。

     ○

— posted by id at 06:18 pm  

T: Y: ALL: Online:
Created in 0.2545 sec.

http://aboutsecuritycamera.com/