偉《えら》い人とは如何《どんな》者だろう

 一体|偉《えら》い人とは如何《どんな》者だろう。偉いというのは何も破天荒なことをのみいう人ではない。万人の言わんとし語らんとして未だ語り得ない事実を言てくれる。これが偉いのだ。衆人に秀れた人なのだ。もしも珍奇な破天荒な事実を明かす人のみが偉いと思ったら先ずさしあたり巣鴨近傍に行ってみるがいい。葦原将軍だとか天下の予言者だとかいう偉い連中はいくらもころがっている(笑声起る)。私は論語を読でいつも非常に感服するが論語の第一頁には何と書いてある。「有[#レ]朋自[#二]遠方[#一]来亦不[#レ]楽乎」別に目新しいことでも何でもない。酒屋の小僧でもいってることなんだ。けれどもこの一句が誰でもいってることで万人共通の感想だけになお以て嬉しい。衆人の言いたいことを僅々十個の文字の中に含蓄せしむる。これが偉い所だ。凡人の及ばない力量である。で私もキリストの友誼より豪《えら》いことは言わぬつもり、否皆さんがとうに知ってることをいってみたいと思う。 新聞や雑誌などで盛に書いてるからとうに御存知だろうが昔アリストートルはゾーポリチコン Zo, Politikon といった。こんなことをいうと希臘《ギリシア》語なども私は知ってるようだが実はこれだけしけゃ知らない。でこのゾーポリチコンという希語を訳してみると「人は社会的動物なり」ということになるそうだ。人間はどうもそうらしい。相手を求めて交りをする。畜生でもそうだ。犬ころが、何か鳴いては求めている。じゃれ廻っては切《しき》りに喜でいる。してみると犬も慥《たし》かに社会的に出来てる。のみならず、犬は人と交って最も長いものだ。これは非常に面白い興味ある題目である。何故《なぜ》狸や虎が家畜とはならなかったろう。竜は何故《なぜ》人間の眼には早くから映っても家畜の中に加わらなかったのだろう。獅子は? 狼は? 熊は何故家畜として人間と交らなかっただろう、この問題は興味深いだけにちと面倒だ。とにかく現今家畜として人間と親しく交っているものが世界の生物が一万種ある中で僅々四十七種にすぎない。といっても今数えてみいと言われるとなかなか二十種も数え切れまい。いわんや普通専門家以外の人にとってはせめて五畜か六畜位に止まるであろうと思う。牛馬羊豚鶏……まあこんなところで結構だ。がしかし前にもいった通りで社交的方面から見ると家畜の中で、犬ほど長く人間と交ったものはない。馬よりか羊よりか何よりも早いのだ。まあ犬を御覧なさい。尾を振ってグウグウ唸って友を呼でいるのではないか。犬すらそうだ。

— posted by id at 06:11 pm  

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