四方《よも》の景色を見て

 そのあひだイエスは四方《よも》の景色を見てぼんやりしてゐたが、ペテロを見ると「みんな捨てたか?」ときいた。「捨てました。ただ金貨を二三枚だけ残しました。われわれの懐中《ふところ》ももう殆ど空つぽですから、何かのやくに立つかと思ひます。しかし、それもみんな捨てると仰しやるなら、もちろん、みんな捨てて来ます」「ああ、ペテロよ、ペテロよ、お前は私の言葉に従ふべきだつた。お前は欲が深いな。おそらく一生がい貪欲で終るのだらう」 イエスのその言葉のごとくペテロは貪欲で、ペテロの宗派をつぐ代々《よよ》のひじりたちの中にも、ペテロの如く金《きん》を愛する人が多いといはれてゐる。

 私はちと所要あって田舎の方へ参っていたが今日この席に立て標題のようなお話しをするようにとのこと、この日に限って御無沙汰するのも何だか気持がわるいし、またこの日を撰《えらん》で友を避けるというのも四十八ヶ年以来の習慣|方度《ほうど》に背《そむ》く。これゃ一つ参らねばなるまいといよいよ決心の臍《ほぞ》を固めて今朝田舎を後に都上りを致したようなわけである。こう申すと何だか皆様に恩を着せるようだがあまり有難いなどと思われては困る。なあに参りは参っても肝心のお話は極々《ごくごく》つまらない面白くないものだからただ此処《ここ》までやってきた私の厚意だけを汲みとってもらえばそれでもう沢山である。(笑声起る) さてただ今お話しようというのは「エスキリストの友誼」ということであるが、これは何も私が勝手に撰だわけのものではなく役員の方で撰出せられたものである。が多少これに就て感ぜないというわけでもない。一体宗教家などいうものは専門的のものでも何でもないのだから宗教家には常識が欠けていてはならぬ。元来宗教その物がコムモンセンスのもので決してセンモンセンス[#「センモンセンス」に傍点]のものでないのだ(大笑声起る)。常識で普通一般の人が知悉していることが宗教で決して格段に目新らしいものではない、非常に珍らしい珍奇なことをいう宗教家こそかえって非常に怪しい怪物なんだ。

— posted by id at 05:50 pm  

T: Y: ALL: Online:
Created in 0.2982 sec.

http://aboutsecuritycamera.com/