芸術の仕事

 芸術の仕事はそれ自体がいはば常に戦場で、本来各人の力量が全部であるべきものである。力量次第どんな新手をあみだしても良く、むしろ人の気附かぬ新手をあみだすところに身上があり、それが芸術の生命で、芸術家の一生は常に発展創造の歴史でなければならないものだ。けれども終生芸に捧げ殉ずるといふやうな激しい精進は得難いもので、ツボとかコツを心得てそれで一応の評価や声名が得られると、そのツボで小ジンマリと安易な仕事をすることになれてより高きものへよぢ登る心掛けを失つてしまふ。別段間者がゐるわけでもなく寝首をかかれるわけでもなく生命の不安があるわけでもない芸術の世界ですらさうなので、自由の天地へつきはなされ、昨日の作品よりは今日の作品がより良くより高く、明日の作品は更に今日よりもより高く、と汝の力量手腕を存分にふるへと許されると始めは面白いやつてみようといふ気でゐても次第に自分の手腕力量の限度も分つてきて、いざ自分がやるとなると人の仕事を横から批評して高く止つてゐたやうには行かないことが分つてくる。それで始めの鼻息はどこへやら、今度は人のつまらぬ仕事までほめたりおだてたりするのは、自分の仕事もそのへんで甘く見逃して貰ひたいといふ意味だ。 本当に自由を許されてみると、自由ほどもてあつかひにヤッカイなものはなくなる。芸術は自由の花園であるが、本当にこの自由を享受し存分に腕をふるひ得る者は稀な天才ばかり、秀才だの半分天才などといふものはもう無限の自由の怖しさに堪へかねて一定の標準のやうなもので束縛される安逸を欲するやうになるのである。 戦国時代の権謀術数といふものはこれ又自由の天地で、力量次第といふのであるが、かうなると小者は息がつづかない。薬屋の息子だの野武士だの桶屋の倅《せがれ》から身を起して国持ちの大名になつたが、なんとかこのへんで天下泰平、寝首を掻かれる心配なしに、親から子へ身代を渡し、よその者だの自分の番頭に乗ッ取られるやうな気風をなくしたいといふことを考へるやうになつた。

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